少し前、母親がついにHSPの新聞記事を切り抜いていた。
あと、敏感すぎて生きづらい人……みたいな本も図書館から借りてきていた。
HSPの記事の切り抜きについて指摘すると、「(HSPのことを)知ってるんだ。仕事の関係もあるけど」と言っていた(母親は福祉関係の仕事をしている)。
10年くらい前に社交不安障害が有名になり、5~6年くらい前に発達障害が有名になり、1~2年くらい前にHSPが有名になってきた感じがする。
母親が私に「これじゃないかしら」と言ってきたのは、大学時代の「場面緘黙」以来2度目……。
ASDも、鬱病も、社交不安障害も、自分の子供がそうだとは認めたくなかったのか「違うと思う」と突っぱねてきた記憶がある。
とはいえ、ASDよりHSPのほうが当てはまるものは正直言って多い。
だからなんだよって話だけど。
というかSADもASDもHSPも共通するものが多すぎるやろ。
自分を何かに当てはめたところで、それがプラスにならないなら意味ない気がする。
私をASDだと見立ててきた医師に言われたことがことごとく的外れだったので、未だにフラッシュバックして怒りを感じることが度々ある。
ろくに話もしてないのに当てはまらないことまで当てはまるって勝手に決め付けてきた。ていうか、その医師からは当てはまることなんか一個も言われなかった。ASDの人は全員ASDにありがちなすべての特性が当てはまるって決め付けているみたいだった。そんなわけないのに。
私は薬を飲み続けていることが不安でその病院に行っただけで、診断されたかったわけですらない。
素人目にも明らかに専門医じゃないのに、何のために診断してきたのかも正直よく分からない。
専門の医師や心理士(?)に時間をかけて診断されて、これからどう工夫していけば良いか明確にしてもらえたのなら、私だって納得できた。
その医師は「ASDだから」私のことを突き放した。「社交不安障害なら良かったんだけど」って。
何年か前から自分のことをASDだと思ってたくさん絶望と工夫を繰り返してきたけど、楽になれないなら、こんなに傷付くだけで見放されるのなら、自分を何かに当てはめても何の意味もないと思った。
苦しい。自己肯定感が低い。情緒不安定。フラッシュバックを起こしやすい。パニックを起こしやすい。片付けられない。方向音痴。人見知りが激しい。不安になりやすい。過度の緊張を起こしやすい。挙動不審。感情のコントロールが難しい。コミュニケーションが困難だが家族や友達とは話せる。視線交差が難しい。視線恐怖がある。対人恐怖がある。傷付きやすい。被害妄想が激しい。
発達障害でも社交不安障害でもHSPでも場面緘黙でもアダルトチャイルドでも、今の私にはどうだって良い。
苦手なことを工夫して、好きなことを楽しんで、楽になりたいだけなんだ。
そうはっきり思えるようになったのは、もしかしたら、その医師の対応が酷かったからかもしれない。